TJ.Famの日常 ニューオーリンズ編

2009年チェコ→2011年ドイツ→2015年日本→2020年アメリカと3か国目の駐在生活。TJ.Famの日常を綴ります。

NewOrleans滞在もうすぐ11カ月 子供達の生態

OSSU!

(最近、気付けば、いつも道場にいる気がする。挨拶は、"押忍")

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懐かしの雑巾がけに、練習中の水分補給NG。今どき、
日本でもそこまで昭和な風土のところはないだろうと思うよ。

5月21日(金)。こちらで通年通った学校最終日。大きな病気、怪我などすることもなく、登校拒否になることもなく、長男、次男とも無事に1学年を修了した。親としては、もっと、出来ることがあったかもしれない、という反省も残しつつ、家族全員が健康で過ごせたことに一先ず感謝。

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Summer Camp

それにしても、こちらの夏休み。3カ月も続く。長いバケーションに出掛ける子供達もいれば、学校の始まる8月中旬まで大半の13歳以下の子供達は、学校内外で行われているSummer Campという課外活動に参加する。主催団体によって時間帯や行う活動も様々。我が家のBOYsは、遊園地の中で一日中過ごせるという夢のような環境で過ごしている。次男はともかく、長男には勉強要素のある環境を探してあげることも選択肢になくはなかったが、やはり、英語力の乏しさと私の運転事情により、思いっきり遊んで、友達作りができる環境を用意することにした。

実は、次男と比べて長男の方が英語という言葉による障害が深刻で、少し、ケアしなくてはならない状況にあった。必ずしも、希望通りの学校選びが出来たわけではなく、コロナ下で実際に通学できる、という一点を第一優先として見つけた学校。ESLもなければ、子供の数自体も少ない。「なんで、こんなところに、日本人が?」という状況であった。先生側も、親切ではあるものの、ノウハウがない。その為、授業で理解が出来ない時には、翻訳アプリを使うことが認められていた。クラス全体の進行を妨げないよう、長男は、常に、翻訳アプリで教科書の写真を撮り、そのまま、AIが訳したガタガタの日本語を元に、先生の話を聞くことを、半ば強いられていた。そして、英文を作るときはその逆。日本語で音声入力した内容を翻訳アプリで英語に変換。それを丸写し。そんな状況に気が付いたのが、最終学期が始まった頃。

 

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市の図書館が市民に無料で提供している、オンラインチューター制度。1回30分程度、
オンラインで宿題を見てくれたりと、学業面でのサポートをしてくれる。
対面でのチューター探しを並行して進めつつ、取り敢えず、試してみる。
写真は、4月中旬のこと。ディクテーションの訓練をお願いしてみた時の様子。

写真を撮るだけで全文、翻訳してくれるアプリは便利ではあるけれど、それを使っていては、英語を読めるようにも書けるようにもならない。それを、見事、この1年で体現してくれた。

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次男の様子。次男の場合は、手厚い体制で学校生活が過ごせたお陰で、語彙は当然、
まだまだ、少ないながらも、ある程度、正しいスペルで読み書きが出来る。

"today was the first day at school."と読み上げる先生の声を聞き、そのまま打ち込む。

 外国語習得という目的に関して13歳の長男と8歳の次男が置かれた環境で大きく違った点は、双方向のやり取りがどれだけあったか、という点だろう。次男の場合、5人の生徒に対し(全員男子)2人の先生が付き添い、その上、とってもお喋りなお友達2人に挟まれて、朝の8時から15時まで過ごしていた。長男の場合、12人のクラスメイトのうち、男子7人。そのうち、まあ、話せる子が4人。友達と呼べる子が3人。授業は、ほぼ講義形式。一方通行の先生の話をひたすらノートに取る形。挙手したり、双方向で話し合ったりなどは、あまりなかった様子。休憩時間もほぼなし。唯一、そこそこ話が出来る時間が、体育の時間。そこでは、高学年の男子生徒と一緒の授業だったので、一番、楽しみにしていた時間だった。

 

 

↓ 英語の特殊性を説明してくれている動画。ESLの先生が紹介してくれた。

m.youtube.com

 

この半年、コロナ下であっても、出来るだけ、直接、人に会い、人から刺激を受けられる環境を探し、特に、子供に関しては、外国語に対して心を閉ざしてしまわないように、孤立しない環境を探し、放り込んできた。

 

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12月はバスケットボール
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年明け バスケットボールと並行して、テニス
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バスケットボールのシーズンが終わったら、春にかけて陸上。
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そして、夏は、アメリカ人が熱くなるという、キッズベースボール

最初は、周りが何を言っているのか、よく分からない、自分からも発信出来ない状況だっただろう。正直、放り込んでおきながら、ちょっと、可哀そうかなと思うくらいポツンとしている時もあった。けど、本人達は、何も気にしていなかったようで。性格もあるのかな。喋れないわけではなく、不必要に喋らない、というスタンスだったらしい。ホントかな。

 

それでも、回を重ねるごとに、ほぼ皆勤賞の我が家。だんだんと、周囲からも認知され、特に、運動神経はदान、dāna君に似たらしい長男に関しては、一目置かれるようになり、チームメートからもコーチからもすごく話しかけて貰っていた。

 

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多言語活動でのプレゼンテーションの様子。6月上旬のこと。↓実際の動画。 

www.facebook.com

 

 

しかし、長男に関しては、日本で友達と過ごすときのように、リラックスしてはしゃぐような姿を見ることはなく、言われていることは、ほぼ分かっているようではあっても、返す言葉数は少なかった。

 

3ヵ月の長い休み。家の中でゲームをしてダラダラ過ごすだけでは、また、ゼロ、とまでは行かなくとも、逆戻りすることは間違いない。少し出費はするし、学校よりも、はるかに規模も大きく、不特定多数の子供が集まることによる病原菌感染のリスクはあるものの、双方向のやり取りが出来るSummer Campへ放り込むことにした。

 

効果の程は如何に。

 

Have a good one ! OSSU !

 

 

NewOrleans駐妻 渡米10カ月 遂にルイジアナの運転免許証をGET

How r y'all doing?

I'm good.

最近は前のように買い物に毎日出掛けているわけではないのだけれど、買い物に行ったときには、キャッシャーへは先制攻撃をかけるようにしている。まだまだ、実験継続中。

やっと、晴れて、ルイジアナ州の運転免許証を取ることが出来た。感無量。ここまで、本当に長かった。そもそも、ソーシャルセキュリティ―ナンバーというものが発行されなければ、なんの手続きも取ることが出来ず、ひたすら申請許可が下りるのを待つこと、7カ月。その後、仮免許証の申請予約待ち1カ月。並行して、自動車教習所の予約待ち1カ月。4月初旬にやっと学科講習を受けることが出来た。全ての手続きは、दान、dāna君が手配してくれ、自動車教習所での講習には、会社の通訳の方が立ち会ってくれるので、わたしは、実質、その場に居ればいいだけではあったのだが、本当に取れるのか、取れなければどうなるのか、不安の10カ月がやっと終わった。

アメリカの運転免許証は、州によってルールが異なり、ルイジアナ州は国際免許証を持っていても、その有効期間は、渡米から1カ月?2ケ月?しかなく、国際免許証の威力はそこまで。ドイツ駐在の時のような、書き換えという制度もなく、一から、普通に、アメリカ人と同様の手順を経て、運転免許証を取得しなければならない。今回は、コロナ下ということもあり、国際免許証の有効期限が切れていても、申請中という位置付けで運転し続けることが出来た。

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アメリカで一番古い教習所だって、謳っているけど、ほんとかな。

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教習所の受付。創業1932年と書いてある。


しかし、4時間の学科講習後、2時間の筆記試験。8時間の路上講習。実技試験に合格したら、申請書類一式をもって、運転免許センターへ行き、申請手続きを取って晴れて免許証が手に入る。

教習所内では、通訳付きの場合、全く英語が出来ないふりをしていないと、通訳不要じゃないか、と言われてしまうので、大人しく、ひたすら、通訳の方の指示に従った。筆記試験も、言われるがまま。路上講習は、事情を理解してくれている教官だったので、普通に英語でしっかりと教えてもらった。苦手な高速道路にも何度も乗り、スピードや合流の恐怖には打ち勝てずに終わったが、普通の道路に戻ったら、少し自信をもって運転できるようになった。最後の実技試験では、通訳を嫌う教官だったので、やや気を遣いつつ、なんとか、クリア。そして、遂に!!!

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日本の証明写真では笑って歯を見せてはいけない、と言われるが、

こちらでは、皆、満面の笑みで写真撮影をしている。

それを真似てみた。警察に捕まったり、何かの事件に巻き込まれて、

テレビに映るときには、この写真が使われるから、

なるべく、笑顔にいい顔で、ということ、みたい…。なんという理由…。

通訳の方にお世話になったり、दान、dāna君に書類を何もかもやってもらい、私は、とにかく、運転に集中することだけがお仕事だった。本当は、煩雑なことをやりくりしてこそ、真の、大人としての英語が身につくのだと思う。
通訳の方が同席することで、一気に、相手は私がその場に居ないかのように話し始める。正直、ほぼ、わかってしまっている、あるいは、分からなくても聞き返すことで、その場をやりくりするだけの自力はあった。とは言え、それも結果論であり、最初っから自分一人で背負っていたら、दान、dāna君の仕事が増えるだけで、本末転倒。दान、dāna君のお仕事のために、ここにいるので、私のサバイバル力や英語力は、ラッキー程度に付随してくればいいだけの話。日本で何も気にせずに色々と挑戦できていた頃とは、やはり、違う。保守的な考えかもしれないけれど、守ってくれる母国に住むのと、異国とでは、同じではない。

 

Have a good one !

NewOrleans駐妻 渡米9カ月と2週経過 英語力の客観的評価

Hi, how r you doooing? 

Hi, how r you doooing? 

(なんと、相手の質問に答えずに、質問返しのパターンもある!大発見!)

 

3月末の事。次男のお誕生日会をきっかけに、生まれも育ちもニューオリンズ出身という地元っ子の知り合いが出来た。時期を同じくして、日増しにワクチン接種者も拡充し、コロナ陽性率も低下したせいもあり、ルイジアナ、ニューオリンズ、それぞれの政府も規制緩和の方に舵を切った。街に賑わいが戻り、観光客も増え、人との接触がこれまでよりも容易になった。この2カ月半を振り返ると、人と対面で話すことへの警戒心が自分の中でなくなっていることに気が付いた。

 

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教えてもらうという事 と 自分で感じ取る事の違い

 ESLの同じクラスに新しく日本人駐在員のご家族が入ってこられた。かつて、私が先生にした質問と同じことを聞いておられた。先生の回答は、極めて、教科書的なことを、一先ず教えてくれる。しかしながら、先生も仰っておられたように、言葉というものは、常に、

 

「文脈による」

 

これは何語であろうと同じなのだ。
これまで、私が毎度、ドギマギしながら、店員さんの"How r you doooing?"に狼狽えていたのも、文脈無視で、どうすればいいのか、とばかり考えていたからだろう。
"How r you doooing?"に含まれる意味は、一つではなく、使い方も一つではないのだ。全く知らない人と道端ですれ違う時にも、学校の送迎時に顔見知り程度の人にも、お店の店員が客に対する「いらっしゃいませ」程度の挨拶にも、久しぶりに会う友達にも。親しい間柄のお友達にも、おんなじ"How r you dooing"を使っている。けれど、意味合いは全然違う。軽い挨拶で交わした言葉に対して、昨日あった辛い出来事、楽しい出来事など、打ち明けられても、相手も困るのだ。

そんな当たり前の事であっても、自分のものになるまで、人にどんだけ言われたって、わかりゃしない。「なるほど」、とは思えても、それは、自分のものではない。自分のものになって、初めて、わかった、というのだろう。

 

「ことばは、3回使えば、自分のもの」

 

ESLの先生が言っていた。

「ただ、教えてもらったのだけでは、忘れてしまうだけで活かせない。それは自分のものになっていないということ。3回使えば、(3回以上だろうけど)もう、それはあなたのものよ。」

 

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ルイジアナ あるある ?


マダガスカルのG。私の尊敬する自然療法家は、G、を素手で触ることが出来る。
人に愛されない、Gであっても、同じ生き物。
触らずとも、怖がったり、叩き潰したりしない。
私はそんな尊い志など、ないのだが、連日のように、戸棚から出没するGが
手に乗っていたこと、など、数知れず…。



言葉の主体は、自分だ。けれど、それを履き違えると、相手の話や周りの話を聞かずに、我こそが練習せねば、と、話したがる人が出てくる。それも違う。相手との関係性によって、意味が変わってくる性質を持つのが、言葉、の正体だと思う。我先にと話をする人に心を開いて話してくれる人がいるであろうか。信頼関係が先だ。信頼関係があれば言葉など、究極、要らないと思う。

 

とは言え、勿論、カッコよく、喋れるようになりたいなぁ、という想いはある。たくみに話すネイティブ同士の会話の中に、ニコニコと、分かった素振りで紛れ込み、ふと、回ってきたバトンに、頓珍漢な回答をすることなど、日常茶飯事。私が発する超原始的な英語にそれまで笑顔だった周囲の顔色がどんどん強張っていく瞬間など、もはや、恥ではない、ってくらい経験済み。

 

カッコよく、喋れはしないし、分かる会話、分からない会話、が入り乱れ、なんとか自分が困らない、相手を困らせない程度に会話を終結させる程度の会話力。言葉が育つ初期の過程(ESLに通う必要のあるレベル)は勉強ではない、暗記ではない、と信じているので、もうかれこれ20年以上、英語の勉強など、したことがない。ESLの授業でも、先生方がそんな私の熱い思いを汲み取ってくれ、所謂、勉強形式の授業は行わない。(勉強したい人には、申し訳ない。)

 

けど、どうしても受けたい授業があって、仕方なく、、、

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Community CollegeのESLクラス分けテストを受けてみた。
(黄色の蛍光ペンが渡米9カ月弱時点での結果)

取り敢えず、受けたい授業を受講するには、足りない英語力を補う必要があるというので、仕方ない。コミュニティカレッジに通うためのお勉強を夏が終わったら始めようと思う。

 

Y'all have a great night !

NewOrleans駐在 渡米もうすぐ9カ月 この1カ月半での出来事から思う事

How r yooou doing ?

I'm good !  You ?  (レジのところで、中年男性が使っていた。)

 

未だ、レジ打ちの方に対して、"And You?"が、言えない。

 

子供や自分の身に起きている、英語という化学変化を記述したい、という思いから、そのことにどういう意味があるのかも、ないのかも分からないけれど、とにかく、起きていることを正直に記述したいと思っている。けれど、起きている渦中では、その現象を言葉にすることが難しいと感じている。少し時間を置き、その事象を振り返ることで、ありのままというより、自分にとってそれがどういう意味であったのかを記述しやすくなるような気がする。

 

と、また、更新が遅れた言い訳、、、をしてみる。

 

振り返れば、丸7カ月経過した頃、やっと、生身の人との自然なInter actionが始まった。きっかけとなった主な出来事。

 

3月27日(土)  次男のクラスメイトのお誕生日会で、一人のママと知り合う。

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長男、寿司飯の作り方を教えるの図。
この1カ月半で、旧知の仲のごとく、毎週、遊ぶように。

 

4月7日(水) 週1で、テニスのグループレッスンを始める。

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毎度、ドキドキのグループレッスン。
ネイティブ同士の会話は、英語が溶けている…ようにしか、感じない。

 

4月30日(金)  公園で、初めて、イタリア人のexpat(駐在員)家族と、知り合う。

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流石、イタリア人。美意識高すぎる。夏季休暇で本国に一時帰国前に、常夏の
ニューオリンズモードから、肌寒いミラノモードに、ネイルのカラーチェンジ。
サロンをはしご、に付き合う、私。

 

5月3日(月) ESLのオフ会。7カ月目にして初めて先生方や他の生徒とリアルで対面。

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左 レベル3でお世話になった先生 & ラティーノ友達。
右 持ち寄りだというので、一応、コロナ&食中毒対策で、無難に、
個包装にした抹茶クッキーを準備。でも、私以外、誰も気にしちゃいない。
みんな、炎天下の元、大皿、ブッフェスタイル…。

 

5月6日(木) 念願だった松濤館空手の無料体験に行く。

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掛け声だけは、日本語。先生の日本語が可愛い。

 

5月11日(火)  Community Collegeで、英語のクラス分けテストを受ける。

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左 久々の大学キャンパス!
まだリアルで再開していないので、構内は静か。
右 受付。

やっぱりリアルはいいな。コロナがなかったら、最初からこのような刺激があったのかもしれない。けれど、コロナがあったお陰で、その間に心の準備だけは万端に出来たのかもしれないな、とも思う。

 

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ワクチン促進キャンペーン。食用のザリガニが453gもらえるよ!

 

で、生身の人間と接して、リアルで英語のInter actionが我が身に起こる空間の中で、思った事…。

 

これまでの海外駐在経験も肥しとなり、自分の身に起きている化学反応とは。

 

見知らぬ言葉の嵐の中に身を置いて、起こっている事。

 

それは、"Beyond the words"。

 

具体的な事例は、また追々。

 

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パパ活中の、dāna君。

 

Have a wonderful day !

 

 

 

 

NewOrleans駐妻 渡米6~8カ月にかけてのSpeaking skillについての考察

How r you dooing?

Doing good doing good ♪(若い先生が言っていた)

 

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1月25日(月)にレベル4のクラスに進級し、今日が、ESLの今学期最終日だった。渡米後、6カ月目に入る頃だった。初日の感想は、まるで、皆が話す英語のスピードがジェットコースターのようだ、と自分でも記していた。今日は、今学期を振り返り、お互いにお互いのことを評価したり、教会側へのフィードバックなどを行った。

 

私に対するみんなの評価は、

「最初、レベル4に来たばかりの頃は、She spoke so badly. 今でも苦しそうではあるけども、私達も彼女の言いたいことが分かるようになってきた。She got better and jumped in and beyond.」的な事を言われた。

 

内心、(お前が言うなよな…)と思う反面、確かに、今ではみんなの会話が明らかに聞こえている。分からない時もあるけれど、決して早すぎるとは思わない。耳がスピードに乗れるようになってきたということか。それとも、みんなが私のペースにのまれて遅くなってきたか。でも、明らかに最初とは何かが変化しているようだ。

 

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無料の言語学習サイト Dolingo で、発音をチェックしてみた。

ネイティブの発する音と全然違う・・・。

参考:Duolingo

www.duolingo.com

 

 

振り返れば、年末年始は、ESLもなく、コロナのフェーズも厳しくなり、ひたすら、自宅に籠っていたので、英語のアウトプットの場がなかった。その頃だっただろうか、दान、dāna君が、私の英語を話すのを聞いて、

「スターウォーズのヨーダが話しているみたいだな。」と言っていた。

後になって、調べてみると、なんか、自分でも分かる気がした。

 

being-happy.jp

 

他の記事では、ヨーダに異国人感を出すために敢えて、日本人の話す英語っぽくした、というような推測を立てているものもあった。あながち、見当はずれではない気がする。

 

自分でもよく自覚している。特に疲れている時に顕著に現れる現象。

 

その1.主語が抜ける。

その2.いきなり、曜日や場所や、自分の言いたい強調したい事が冒頭に来る。

その3.he , sheが、どーでもよくなって、言いやすい方に流れる。

その4.その3とも関係するが、三単現の”S”や、Do , Doesを言い違える。

その5.  目的語が抜ける

 

英語で英語を考えずに、日本語で考えている証拠だ。英語で考える、ってのは、英語のパーツがあって、それを組み立てていく事、というような事をとある記事で読んだ。ただ、パーツが少なすぎると、それを、イチイチ、説明するために文章を作らなくてはならない。

例えば、墓、という単語をすっかり忘れてしまったとする。となると、人が亡くなったら埋められる場所、というような事を知ってる単語で組み立てる作業をしなくてはならない。ボキャブラリーが少ない人ほど、話が長い。これは他の生徒を見ていても思う。完結に話す語彙が無いのだ。仕方がない。ただ、これに加えて、語順が滅茶苦茶だと、相手は、一体、何を言っているのか、さっぱり分からなくなる。それは話している本人も、相手の表情を見ていて、その反応から、痛感させられる。

 

疲れている時、日本語でも難しい内容を説明する時、などは、特に顕著になるヨーダ現象。どうクリアしたらよいか。

 

1つ、発見した。

 

「感情的にならないこと。」

 

感情的になると、つい、日本語の語順で、日本語っぽさ満載の、所謂、ジャパングリッシュが口をついて出てしまう。

 

例を一つ。

 

I put an apple here.

(私はリンゴをここに置きます。)

 

①ここに置くよ

②リンゴを、置くよ

③私が置くよ

 

日本語だと、口語体だと、強調したいことがどうしても冒頭に来るらしい。英語だと、語順は変わらず、強調したい箇所にアクセントが付く。

 

聞きなれない新しい語彙については、知って行けばいいだけの話なのだが、この語順というのが今のわたしには最も厄介だ。そんなことをदान、dāna君に話していたら、

 

दान、dāna君「でも、ヨーディッシュでも、相手はあなたの話している事を理解しているし、傍で見てて、ストレートでヒヤヒヤするな~と思うような、あなたの質問に対しても、相手は答えているのを見て、言葉ってツールに過ぎないし、それを超える人間同士の繋がりっていうのが、よっぽど大事なんだなと思うよ。だから、そのままでいいじゃん、って思うようになったよ。むしろ、流暢になってヨーディッシュでなくなると、ヨーダじゃなくなってしまって、なんか、その魔術的なパワーを失ってしまうんじゃないかね。(笑) もう今のままでも十分だと傍から見てて思うけど、なんで、もっと出来るようになりたいわけ?」

 

(なんでか?)

 

確かに、英語の発音が少し良くなってきたり、流暢に話している自分に気が付いてしまった瞬間、

 

(魂売ったな・・・自分。)

 

っと突っ込む自分がいる。

 

英語を話したがらない、フランス人、ドイツ人、の躊躇う瞬間というのは、こういう気持ちなのかな、と少し思ったりする。自分が自分でないような。

 

けど、それでもやっぱり、、

 

(仲間はずれ、が嫌だから)なのかな。

 

一人だけみんなと一緒に笑えない時、一人だけ、なーんか話しかけてもらえない時。こっちから話しかけるきっかけも、掴めない時。そんな瞬間を味わいたくないからかな。

 

聞こえる行為、と、話す行為。

 

勿論、聞こえる、も、まだまだ難しいけど、話す、もやはり、難しい。

 

取り敢えず、先ずは落ち着いて話そう。

 

Have a good evening !