はう やー どいん?
わたしと同じ返し、”Good and you?” と言っている人もいた!
子供にならう
「英語と思わずにルイジアナ語に出会ったと思う」、とはどういうことか。
自分で書いておきながら、(ちょっと、どーいうこと???)と、再び、自分に返ってきた。
दान、dāna君に、問いただしてみた。
わたし「子供と私、何が違うと思う???なんか、長男見てても、思うに、わたしよりも、店員との会話をよく聞き取れていたり、馴染んでたり。映画を見てても、内容分かっていたり。けど、全然、分かってないこともあるし、構文の組み立てもめちゃめちゃだし。やっぱり、前の駐在のときの英語経験という蓄えがあって、それが再び開花したのかしら。けど、来た当初とか、全く聞こえていない程度は、私と変わらなかったはずなのになぁ。」
わたし「次男は、発音はすごく変わってきたように思うけれど、やっぱり、長男より、なんか、分かってないように見える。でも、逆に、分かっていない中で、ポツンとしていられるのが、ほんとに、凄いと思う。」
दान、dāna君「あなたと子供達の違いは、勿論、毎日の刺激という意味では、違うとはいえ、それはさておき、あなたは、英語を勉強したことがあるでしょ。だからだよ。」
わたし「いみが、わかんないんだけど。」
दान、dāna君「イチイチ、自分の中の尺度(自分が習った英語)に照らし合わせているから、傍で見てて、時間の無駄だと思うし、それが大きく違うよね。」
わたし「???」
दान、dāna君「子供達は、英語というものに触れたことはあったかもしれないけれど、あなたのように、語学として学んだことがないわけ。だから、分かっても分からなくても、そのまんま受け止めているわけよ。あなたのように、なんで、ここの語順が違うんだ、とか、Overの意味が、どういう意味のOver?とかイチイチ気にしてないでしょ?」
わたし「そのまんまって??」
दान、dāna君「Over mask mandateなら、そのまま、Over mask mandateなんだよ。マスクの義務化を超えて??超える???とか、考えていない訳。」
わたし「そんなの、意味知ってれば、それが出来るかもしれないけど、意味知らずに、そのまま、勘違いしたまま、どーすんのよ。」
दान、dāna君「だから、、、、Over は、Over、と、そのまま。mandateと言っているなら、mandate。なんで、とか思わないわけ。意味とか、思わないわけ。僕たちBOYSは、あなたのように、ことばを、語学なんていう、学問だとなんて思っていない訳。そこにある、ただ、必要なものなわけ。」
わたし(そんなの、そのままって、どういうことなのよ…。子供達のように、そんな言葉が溢れている環境にいないし。)
わたし「まあいいや。そのまま、ね。意味を考えようとしない。なんで、とか、思わない。分かった。ストレスフルだけど、機会があればやってみます。」←不満
日本の友達にぼやいてみた。
友達「それは英語だけでなく、日本語だって、言葉のもつ広がりがあるから、ここでいうOverは、あの、Overね、って考えるのって、、、いちいち、私達も考えはしていないから、ネイティブってそんな感じよね。”はし”、と、”はし”、(ああ、ここでは、お箸の方の、”はし”、か)、なんてわざわざ、意識で確認したりしないよね。無意識だよね。そういうことなのかしらね。」
チェコに住んでいた時も、ドイツに住んでいた時も、チェコ語、ドイツ語の家庭教師に(ほんと形だけ)自宅へ来てもらっていた。語学の勉強が本来大嫌いなので、
わたし(習っても、どうせ覚えられるわけがない)
と思っていた。そして、何にも知らないくせに、
わたし「教科書は使わないで、カンバーセーションクラス風に、ことばだけで、教えてください。」
と、無茶を言った。チェコ人の先生は、日本語学科を出ていたので、日本語ベースでチェコ語を。ドイツ人の先生は日本語は出来なかったので、英語ベースでドイツ語を。最初のうちは、なんとか、分からせようと、試みてくれたものの、
先生「大人が、音だけで母語以外を習得するのは、無理です。」
と言われ、教科書を準備されてしまった。一歩出れば、勿論、母語以外の言葉で溢れているのだが、教科書をまじめに勉強しなかった私は、あんまりよく分からないまま、ぼんやりと、駐在生活を終えた。
けれど、今思えば、勉強をしていないことが功を奏して、
(わからないのなんて、当たり前じゃない。だって、知らないんだもの。)
と開き直っていた。既存の固定概念が一切ないので、全てを、そのまま受け止めていた。分からなくっても、ふーん、と、やり過ごし。え?なに?聞こえない!!!と、うろたえることもなく。
(”ゲナウ、ゲナウ”と、なんだか、つづりもなにも分かんないけど、相槌打つときにやたらと、使っているから、ゲナウって言っとけばいいんだね、きっと。)
と、なーーんにも考えずに、そのまま使っていた。そして、正直、チェコ語を習得してやろうとか、ドイツ語を習得してやろうとか、微塵も思っていなかった。ただ、脳のトレーニングに良さそう、程度に、思っていた。
もしや…
ドイツ語だったら、知らないのが当たり前、で行けたのに。英語、ってなると、知っている、と思っている自分がいるんじゃないだろうか。
दान、dāna君「そうじゃない?子供達は、最初、わからないだらけの中で、わからないなーって思った段階があって、けど、仕方ない、当たり前じゃない、だって知らないんだもん、って開き直ったんだと思うよ。だから、そのまま受け止めてる。あなたも、ドイツ語で経験した時のように、英語を聞けばいいんじゃない?」
なるほど~。そっか。確かに、こっちでスペイン語に出会った時も、知らないから、そのままスルーしてたな~。知らないもん、って。そんな風に聞いてみよう。だから、ルイジアナ語として、聞く。変に、英語って思ってたから、知ってるものが無い無い、って焦ってたのかな…。
次なるステップ
1. 相手に向かう。わからなくても相手が話そうとしていることに耳を傾ける。
音に意識が行き過ぎて、肝心の、心を見ようとしていなかった、ことの反省から。
2. ルイジアナ語が分からないのは当たり前、と開き直る。なんで、とか、いちいち思わない。ことばは、学問じゃない。
精神論だけで、ことばを習得しようと、試みているようだが、、、まあ、よし。