Hey me~n!(長男、初日にイケメン君に掛けられた言葉)
長男が胃痛から復活し、予定より1週間遅れで学校生活をスタートさせた。
数多ある学校の中から、たった1校を選び、そこでの体験を綴るので、これをもってアメリカの制度であったり、ルイジアナ州の学校はこうだ、などと書くつもりはない。あくまでも私が感じたことを嘘のない言葉で綴るだけだ。
長男は日本では小学6年生だったので、この学校では、ミドルスクールに入ることになった。ざっくり言うと、エレメンタリースクールが終わった次のステージだ。
दान、dānaの仕事の都合で、これまでも何度も転校を経験してきた長男。国をまたぐこともあったので、その都度、その場その場に合わせて生活をしてきた。学校の行事もそうである。
(色々あって、バタバタとミドルスクールに入ってしまったけれど、あ~~、もう、小学生を卒業してしまったのだなぁ…。)
思い返せば、ドイツでは(わかりやすく日本でいうところの)小学校1年生に入学した。幼稚園から高校までの一貫校だったので、同じ場所に通うのだが、やはりステージが移行する節目は、セレモニーがある。忘れもしない、ドイツでの入学式当日の大失敗…。
ドイツでは、(いや、ドイツ以外でもやっているかもしれないが、)長男が通っていた学校では、入学式には、 ”schultüte”(シュールトューテ)と呼ばれる、身体の半分くらいあるおっきなコーンが両親から贈られる。それを持って、入学セレモニーに参加する。
長男が通っていた学校のHPより
https://www.isr-school.de/news-events/news/1919-first-day-of-school-at-isr-2019
時期が近づくと街の文房具店ではシュールトューテが売り出されていたり、親が手作りをしたりして入学の準備をするのだ。住んでいた街には日本人駐在員が沢山いたので、お互いに助け合いながら生活していた。よく分からない土地の習慣もタイミングを逃すことなく、誰かしらが、教えてくれた。この時も、長男の学校のママ友が、ドイツ人のママが一緒に作ろうと声かけてくれたので行こう!声を掛けてくれた。大きな画用紙だけ購入して、初めてのお宅で、みんなでワイワイと作ったものだ。なのに、、、
翌朝…。
दान、dānaの急な仕事。だったような…。
慌てて、タクシーを呼び、まだ1歳だった次男を連れて、スーツにヒールを履き、時間ギリギリで学校へと向かった。
わたし「ああああああああ!」
やってしまった…。玄関に、あの、大事なシュールトューテ置いてきてしまった。
ショックで頭が真っ白に。引き返していては式自体に間に合わない。泣く泣く、そのまま学校へ。テンションダダ下がり。けれど、学校では、そんな子や、あんな子にも、と、学校からもシュールトューテが贈られた。
(良かった~。)
けれど、大きさも全然違うし、折角、準備していて、この日以外、このタイミング以外で写真を撮ることもないのに…。数日、ショックがフラッシュバックされ、思い出すたびに、身悶えた。
そんな失敗も経て、2度目の小学校入学式。日本。桜の木の下でランドセルを背負い、笑顔の家族写真が撮れた。
(入学式を2度経験した代わりに、小学校の卒業式は一度も出来なかったな…。)
今年はコロナの影響で生活やこれまでの常識、慣例がことごとく覆っているから、転校生だけでなく、みんなそうだろう。節目を自覚し心を整え、次に進むため、式典は、人間にとって重要な意味があるような気がする。合理化、簡素化も必要だけど、人間にとって大事な心を育むために存在しているもの。時を経て本来の目的は分からなくなっていても、長年人々に受け継がれているものには、そんな大事な意味があるのだろうと思った。