Hi,folks!(はい、ふぉuクs!)やあ、みなさん、みたいな感じ。ご機嫌なトレジョの店員が言っていた。
学校が始まった。本当は2人同時に初登校の予定が、長男体調不良のため、兄不在の中一足先に次男の学校生活からのスタートだった。
兄がいないと不安がるかな、と心配していたけれど、前日の夜から、興奮気味。口では嫌だと言いながらも、「早くしないと遅刻しちゃう!」などと、ノリノリだった次男。
初日の感想。
「べんきょうはらくしょうだったけど、ほかがむずかしかった~。」
初日からお弁当有りで2時45分まで。次男も日本では小学1年生だったので、こちらでは2グレードへ進級。日本を出るまではピカピカの1年生だったというのに、夏を過ぎて、もう2年生…。本当は日本での小学校生活が送れない予定だったが、コロナの影響で渡米時期が遅れ、1学期だけ日本で小学校生活を過ごすことができた。
दान、dāna「(次男)は、意外にやる気になっているみたいだよ。”仲間に入れて、一緒に遊ぼう、ってなんて英語でいうの?”って聞いてきたよ。」
2日目の感想
わたし「どうだった~、おともだち、どーだった?なにか、はなせた?」
次男「(長男)と同じくらい、もじゃもじゃのかみの毛の子がいた。みんな、おかしばっか、くってる。おひるごはんも、おかしなんだよ。さんすうが、かんたんすぎて、ひま。みーんなは、できないんだよ。」
お菓子を食べているというのは、10時のスナックタイムと12時のランチタイムの時の様子らしい。お弁当を食べている様子はなく、加工品を食べているようだ。
3日目の感想
わたし「今日は、お友達のお名前分かった?学校どうだった?」
次男「しらん。わからん。もじゃは、もじゃ。ぴーいーで、せかい大会やった。2位だった!つかれた。みんな、おかしばっかりたべってた。」
世界大会というのは、低学年でトーナメント式の徒競走だったようだ。3人ずつのレースで、30人くらいいたらしく、3回くらい勝ち上がったらしい。最後に負けちゃったという感じ。
4日目の感想
次男「ひま~、ひま~。つまんなーい。おもしろくなーい。みんな、おかしばっかくってる。オットットみたいな、形をした、スナック。PEなかった~。」
5日目の感想
次男「しらん。わからん。いえかえったら、なにかやっていい?(←ゲームのこと)ひまだった。だれもなにもはなさない。」
流石に心配になる。クラスメイト5名。今は英語が不自由な子を対象にしたサポート室のようなところに行っていて、そこの同学年は3名。刺激が少なすぎるのではないだろうか…例え、英語が出来なくても、少しずつ、世界が広がっていた矢先。
日本でも1学期後半、ようやく通学できるようになり、クラスメイトの顔が見えるようになった頃、同じように、お友達できた?と聞いても、すぐに出来るわけない、と、いつも冷静な次男だった。なぜ、そう聞いてしまうかというと、長男は、初日から、いつも、お友達できたー、と帰ってくる子だったからだ。
幼稚園時代のお友達と放課後遊んだり、徐々に、近所にクラスメイトが住んでいることが分かり、一緒に帰り始めて、自分にも友達が出来たと自覚し始めていた頃だったから、英語というよりも、心の方が心配だ。
दान、dāna「明日も同じようだったら、担任と話してみよう。」
長男「きっと、(次男)は、黙っているんだよ。お友達っていうのは、自分から声を掛けて作らなきゃ、作れないんだよ。僕は、雪学(雪の学校という課外キャンプ)でそれを学んだからね。(次男)も雪学に行けばいいんだよ。」
HIPPOファミリークラブ主催 長男が参加した雪学の様子
6日目の感想
次男「たのしかった~!もじゃの、おなまえ、すこしだけわかった。J、A、なんとか。あそこにいる、くるまのうえにのぼっている子も、おなじクラスだよ!」
少し安心した。校内には事務所しか入ったことがなく、クラス内の様子が全く分からない。小規模な学校なので、次男が、今、行っているらしい、サポート室は生徒3人に対して先生が2人もいる。次男の通った幼稚園も小規模な園だったから、まあ少人数でも大丈夫かな?と思っていたけれど、今度は日本の小学校が区内2位のマンモス校だったから、刺激もあり、そのギャップに苦しむかな、と、色々悩んだ。
最終的には、どんな状況でも、たくましく、自分の居場所を作る努力が出来る子に育ってほしいと願い、祈るようにして、学校を決めたが、心のSOSには常に耳を澄ませて育児をしなくては、と思う。