Hi,Good morning!
ぐっd も~ ⤵
にんg ⤴
こちらのご年配の方のご挨拶のアクセントが独特。すれ違うご近所のマダム、ESLのマダム先生が同様な発音だ。
前回更新してから、約1カ月が経過。11月14日が前回の更新日。この辺りを境に、またまた、引っ越しをしていたので、段ボールに囲まれ、ひたすら、片付け、掃除、家具屋で再び家具を選ぶ、業者が来るので自宅待機、の日々だった。記録のために、思い出しながら少しずつ綴る。
毎回の引っ越し、決して同じことはない。毎回毎回、今回こそ、事前に断捨離して、到着したら、的確な位置に開梱してもらい、その場で不具合も業者に伝えて、、と思うのだが、今回も、東京で生活していたままに、段ボールが作られており、開いては、あっちこっちへと仕分けし直し。壊れているものは、都度、写真を撮る。保険請求できる期限も決められているので、のんびりと開梱できるわけではない。
我が家の荷物で多いものランキング TOP3
NO.1は、食器やキッチン家電など、私の手足となってくれているものたち。
NO.2は、家族全員の洋服。これは、私が一番少ない。
NO.3は、本。
今回の引っ越し荷物の受け入れ。最初はいつものように私が一人で対応。後から、दान、dāna君合流。दान、dāna君、今回、初めて、引っ越し荷物の受け入れに立ち会う。
業者にリストを渡され、玄関から入ってくる段ボールに付けられた番号を業者が読み上げる。その都度、リストにチェックを入れて確認していく。
アメリカの家は日本に比べたら広いが、よく、こんなに沢山の荷物が東京のあの家に収められていたなぁ、と思う程の量。この3カ月、スーツケース6個、航空便の段ボール箱5箱程度の荷物で生活していたので、余計にそう思うのだろう。
海外との往来で活躍するのが、現地に住み働いている日本人の存在だ。今回も日系の顔をし、日本語を操る、オッちゃんが取りまとめ役として現れた。でも、どことなしか、海外に住む日本人よりも丁寧だ…。
(これは、何かありそうだ。)
好奇心の赴くままに、オッちゃんに話しかける。すると、ボリビア国籍も持つ日系3世であることが発覚。おじいさんの代の頃。敗戦後、貧しかった日本から一家総出でボリビアへ移住し農業を始めたのだそう。当時は、北朝鮮へだけでなく、南米にも楽園を求めて多くの日本人が移民した。ペルーやボリビア、には、特に多くの日本人が移民したようだ。なので、南米には特にアジア系の顔をした移民が多い。ESLのクラスにもチラホラアジア顔をした南米の子がいる。
戦後に移民した人達には日本政府からの恩赦があり、多重国籍が認められているらしい。なので、ボリビア、日本、アメリカ、の3冊のパスポートを持ち、自在に3カ国を行き来している、、らしい。←オッちゃん談
オッちゃんの育ったボリビアは、NHKスペシャルで取り上げられるような、原住民が住むようなアマゾンの中。
オッちゃん「パイナップルやパパイヤ、バナナ、トマト、なんて、買うものではない、その辺でそこらじゅうに生えているものですよ。買った事ないですよ。」
今は家族が増え、ボリビアにいる親族は30人を超えるらしい。日本人村があり、そこでは昔のまんまの日本がある、ようだ。なので、私も、オッちゃんに、とても丁寧で、低姿勢で、温かい印象を受けたようだ。
まだ、落ち着いてPCに向かう環境でないので、今日のところはここまで。