hau yaa- doin?(はうやーどぅーいn)
Gooooood!
までは、焦らず言える。少々、日本人からすると大袈裟に感じるまでテンションを上げてスムーズに出るようになった。けれど、その次に続く、and you?に照れと、躊躇があり、なかなか、自然に出ない。聞き返したところで、マスク越しに続くその後のフリートークに対応できる自信がまだない。
how are you doing?に対し、hau yaa doin!での受け答えバージョンを発見。今度は、これで言ってみよう。尺も短く、受け答えが一個になってて、なんだかいけそうな気がする。
子供達の語学力がどのように身についていくか、それから自分も。つぶさに観察をしようと思っていたけれど、その瞬間は、やはり、観測し難いのかもしれない。
もうすぐ渡米5カ月が経過する。元々、「3」という数字は色々な場面で要になるように感じてはいるが、人間の言葉の変化においてもそうかもしれない。
3カ月を過ぎた頃、दान、dāna君が言っていたこと。
「子供達もそうだけれど、貴方にも、一度目のBreakthroughがあったよね。言葉の習得以外にもなんでもそうだと思うけど、例えばダイエットもそうだけど、物事が変化する時って、停滞期と、急カーブとをくり返して、徐々に変化していくと思うんだけど、月単位だけでなく、一日単位でも実は、きっとその停滞期急カーブを描いてて、でも、その変化が小さすぎて人間には感じられなくて、でも、それが、重なって人間自身にも周りにも感じられるくらいの変化になる。僕が気が付いたのは、3ヵ月を過ぎた頃だったよ。」
レジ打ちの人の「いらっしゃいませ」に近い、「Hau aa yo doin??」への、ドギマギはなくなったけども、お返事にはまだ、↑ こんなに、狼狽えているのに、何の変化が?!何をしたから、自分に起きたというのか???
残念ながら、分かりません…。
ステップ1 キッチンではとにかく、英語のラジオを掛けて、聞き流している。
ステップ2 聞き流すのでは、何も残らないので、何を言っているのかに意識をむけるようにしてみた。
ステップ3 英文は日本語と真逆なので、とかく、出だしだけ集中して聞こう、と思うようになった。こちらの人の話は長く、みんな、最後までちゃんと聞いているとは思えない。
ステップ4 コロナ下で人と話してアウトプットする場面がないので、しょっちゅう触っている携帯を利用できないか…と考え、「インスタの投稿は独り言なのだから、英語で考える訓練として、英語でつぶやこう!」と英語にしてみた。
ステップ5 とかく自分の英語はジャパングリッシュだと痛感。日本語のノリで、英語らしさが微塵もない。「コッパズカシイ気持ちを捨てなきゃ駄目だ。こちらにとっての不自然がこちらでは相手にとっての自然なのだから!」と人との会話は、テンションアゲアゲで。
日頃やっていること、やってきたこと、と言えば、これくらい。
言葉というのは、音が先にあり、それに意味を人為的に付随させたもの。という説を仮説として今、わたしは生きている。日常生活においては、先ずは、英語のノリを、南部のノリを、照れなく、取り入れ、話しかけてくれた人達を退かせない、、そんなことを考えて生活している。
意味の世界については、後述。