ha yu doin?
Good nd yu⤴
初めてドギマギせずに返せた。2週間前の事。渡米して、5カ月半位のことかな。
地元の近所のスーパーマーケットのレジ打ちのおばちゃん相手に。肩肘張らずに、自然に聞けた。地元の馴染むって本当に大事。
でも、たった、ここまで来るのに、毎日、毎回、ドキドキ、禿げそうな思いでした。
(親切そうな人の列を選んで並ぼうか、それとも、無難に黙々とレジ打ちをしている人の列に並ぼうか…。)
ある日の事。
黄緑色に染めた髪の毛をベリーショートに刈り上げトレジョの店員さんの中でもとりわけ目立つ風貌の彼女。いつも明るく笑顔で接客をしている。
(ああ、彼女の列に並んでみよっかな…。)
(けれど、もし、あんなに朗らかに誰とでも接している人が、私の番になって態度を豹変させたら、もう、二度とトレジョに来たくなくなるかもしれない…。)
思い切って彼女の列に並んでみた。
haroharo~♪♪♪
なんと!!!
ド変化球~~!!!
凄いわ…。やはり、何か違うと思っていたけれど、そんな風に来ようとは。
わたし「は~い」
無難に返答。そこで、haroharo~、とは返せない器のちっささ。
こんな時、母ならば、
「はろはろ~♪♪ にほんごだと、ないわね~。にほんごだとね、こんにちは、と、いうのよ。」
と、話し始めそう…。それはさておき。
その後も、
「冷たいものと一緒に野菜も入れておくわね~♡、あ、いっけな~い!まちがえるところだったわ~♡・・・・・」と、笑顔で、独り言なのか、私に話しているのか、よく分からないけれど、終始、朗らかに手際よく、嫌な思いを微塵も感じさせず、素晴らしい接客。ザ・プロだった。
今日で渡米後、丸6カ月が経過。「3」と言う数字は、やはりマジックワードである。
最初の3カ月は何もかもが目新しく、日々が驚きと衝撃の連続。日々の一つ一つが新鮮であり刺激的で記憶にも鮮明に残っている。
4カ月~6カ月はというと、季節が変わり再びコロナの警戒フェーズが上がった為、警戒感が強まったのもあるけれど、自粛自粛で他人とは対面では、ほぼ合わず、学校のお休みや会社の在宅勤務も重なり、家族で過ごす時間が多かった。
家族でこんなに時間を過ごせるなんて、これまでの常識ではなかったこと。貴重ではある反面、刺激や緊張感に欠ける。(家族内では、わたしだけかな?)
子供もदान、dāna君も、学校や習い事、会社もあるので、私からすれば、日々、刺激がある。
この地の人達の魂とも言える一大イベントのマルディグラパレードも中止とあって、正直、内心、わたし一人、刺激に欠ける日々。少しでも記憶に残る刺激を求めて、彷徨っていたように思う。
オンラインでは世界中と繋がれる世の中ではあるけれど、残念ながら、今の技術では、聴覚と視覚にしか訴えかけることが出来ない。人間には、定義されているものだけでも、他にも、嗅覚、味覚、触覚がある。この五感を使わなければ、実体験とは程遠く、将来の記憶としては残って行きにくい。と、ある方が言っていた。
私は、妙に納得し、
(その通りだよな~、、、)
と、この、一人、家に張り付けにでもされているような状況を一人嘆いていたのだが、長男にぼやいてみたところ、
長男「ママは、古いね。じゃあ、画面の前で、レモンをかじりながら、踊ってみたら?? うぉ~~、すっぱ~い!」
わたし「・・・。でもさ、ママだけがこっちでレモンかじったって、相手とは共感できていないでしょ???」
長男「じゃあ、相手にもかじってもらえば、いいんだよ。みんなで、レモンをかじりながら、踊って、授業するんだよ。うぉ~~!!!」
まあ、これ以上掘り下げても、仕方がないので、長男の意見はスルー。その代わり、アロマディフューザーでアロマの香りを焚くことにしてみた。少し、癒された。
子供って、本当にすごいなと思う。こうも脳天気でいれることがすごいと思う。
英語を出来るようになりたい、なんて、下心も微塵もない。所属した、日本で言うところの地元のスポーツ少年団でも、周りがワイワイとお喋りしたり騒ぐ中、ポツンと所在なく立っているように傍から見えても、それでも、動じない。
気を遣って話しかけてくれるコーチ相手にも、コーチが話している内容が分からなければ、そのまま全無視。ニコリともしない。
私なんかは、その対極。
周囲に人はいるのに、自分だけは、孤立していると感じ、折角、話しかけてくれた相手の気分を害したくはないと、何言っているのか、10%も分かってないのに、適当に笑顔で相槌をうつ…。そして、帰宅後、自己嫌悪。
もっともっと、子供を見習おう。分からない時には、分からないと言う。聞き返す勇気を持とう。格好を付けない、分かった振りをしないことから、もう一度始めよう。