TJ.Famの日常 ニューオーリンズ編

2009年チェコ→2011年ドイツ→2015年日本→2020年アメリカと3か国目の駐在生活。TJ.Famの日常を綴ります。

NewOrleans滞在6カ月を経過した頃 子供達の生態(から習う大人の在り方) 後編

Hi! How are you doing?(はーい はー ゆ どぅーいn)

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会社で野生のアルマジロに遭遇したदान、dāna君。
あまりに驚き、連絡してきた。

「なんと、アルマジロは20種おり、1種を除いてすべて中南米だけに生息する。北米にも生息しているのはココノオビアルマジロだけである。

 

さらに

アメリカでは、ココノオビアルマジロは車にひかれることが多く、

「田舎のスピードバンプ(速度を下げさせるために路面に設けた隆起)」と呼ぶ人もいる。

 

また、

生息地の消滅や乱獲が原因で、ほぼ全種の個体数が減少している。中南米にはアルマジロを食べるさまざまな文化があり、その肉の味と食感は豚肉に似ていると言われている。現在、個体数が増加しているのはココノオビアルマジロのみで、ヒメアルマジロも含めいくつかの種は絶滅の危機にある。

 

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20141218/428796/

 

でも怖いのは、

ブラジルのアルマジロの多くがらい菌を保持しているのはなぜなのか? スペンサー氏は、ブラジルはハンセン病患者が多いからではないかと言う。米国では毎年約200件のハンセン病が報告されており、そのうち約25%がアルマジロと関連づけられている。一方、ブラジルでは毎年約2万5000件が記録されていて、スペンサー氏の研究によると、これでも過小評価されている可能性があるという。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/063000199/?P=2

肉を食わなければいいのか?」


晴れて図書カードが作れたので、学校帰りに毎日のように漫画を借りに行っている。
コロナ下ではパンフレット類を手渡したりすることを自粛しているのか、図書館の貸し出しルールブックを貰っていないので、少し気になっていた。

 

わたし(アメリカは契約社会だから、遅延したりしたら、遠慮なく課金されるんだろうな~。こわいな~。ちょっと、パンフレットあるか、聞いてみよう。)

 

わたし 「えくすきゅーずみー。どぅーゆーはば、ぱんふれっt、おぶ、this ライブラリー? about るーる、おぶ、this らいぶらりー。」

 

受付のおじさん" るーる??? るーる???"

 

わたし「いえs。うるーる。WるーL。」

 

受付のおじさん" るーる???るーる?図書館の開いている時間が書いてある一覧はこれだけど、それではなく?”

 

わたし「のー。for example how many days we can bollow books or something like that。りーふれっt。」

 

受付のおじさん" For adult maximum 35 items for kids 25 items."

 

わたし(だから、それを口頭ではなく、パンフレットがないか聞きたいのに…。)

 

受付のおじさん”Please write down."

 

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筆談

漸く伝わり、

 

おじさん「パンフレットはないけれど、わたしの手持ち資料をコピーしてあげるよ。Please let me make a copy for you .」

 

あとで落ち着いて考えれば、Policy とか、色々言い回しはあったであろうに、パニックになると、同じ言葉を何度も繰り返してしまう。しかも、もっとも発音の難所である、

 

"RULE"

 

こうした時、すごく英語の発音の邪魔をしているなと感じるのが、日本語のカタカナ表記である。外来語のルールっていう音と、英語のRuleの音は、全く別物だ。カタカナをそのまま英語だと思うと、違うのだ。外来語はもうカタカナに表した時点で日本語であって、それは英語じゃない。後日、ESLの先生に発音を確認したが、強いて、カタカナでRuleの音を表記するならば、

 

「ぅるーーーーるっ」

 

だ。

 

パンフレットは、「ぴゃ~~ん ふれっとぅ」

 

他にも、国名。

外来語スウェーデンの、英語カタカナ表記だと、すうぃーーーーでぅん

ヨルダン。じょぅだん

 

自分の中にある英語イメージが、ことごとく、足を引っ張るのを痛感する。

今や英語は国際共通語のような位置付けで世界中で話されている。
だから、勉強もするし、英語ができるようになりたい、と思う気持ちも否定はできない。

けれど、言葉とは、本来、土地に根付いているものであり、その土地その土地によって異なる。そして、何より、個人の中に沸き起こった気持ちを他人に伝えるために使われているのである。色々な言い回しがあったり、微妙に異なる表現があるのは、その微妙さを伝えたい人間の想いがあって生まれたものだ。

わたしは今、一般的に言えば、アメリカという英語圏にいるけれど、英語、と思った段階で、自分の中にある様々な、固定概念に足を引っ張られる。

ルイジアナ語と出会っている、ニューオーリンズ語に出会っている、と認識を新たにすることで、今一度、まっさらな気持ちで目の前の人の気持ちを大切に、目の前の人の発する音に耳を傾け、目の前の人の音で新たに言葉を育むことは、できないだろうか。

よーる はヴぁ わんだふ うぃーけん!