TJ.Famの日常 ニューオーリンズ編

2009年チェコ→2011年ドイツ→2015年日本→2020年アメリカと3か国目の駐在生活。TJ.Famの日常を綴ります。

NewOrleans駐妻 渡米6~8カ月にかけてのSpeaking skillについての考察

How r you dooing?

Doing good doing good ♪(若い先生が言っていた)

 

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1月25日(月)にレベル4のクラスに進級し、今日が、ESLの今学期最終日だった。渡米後、6カ月目に入る頃だった。初日の感想は、まるで、皆が話す英語のスピードがジェットコースターのようだ、と自分でも記していた。今日は、今学期を振り返り、お互いにお互いのことを評価したり、教会側へのフィードバックなどを行った。

 

私に対するみんなの評価は、

「最初、レベル4に来たばかりの頃は、She spoke so badly. 今でも苦しそうではあるけども、私達も彼女の言いたいことが分かるようになってきた。She got better and jumped in and beyond.」的な事を言われた。

 

内心、(お前が言うなよな…)と思う反面、確かに、今ではみんなの会話が明らかに聞こえている。分からない時もあるけれど、決して早すぎるとは思わない。耳がスピードに乗れるようになってきたということか。それとも、みんなが私のペースにのまれて遅くなってきたか。でも、明らかに最初とは何かが変化しているようだ。

 

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無料の言語学習サイト Dolingo で、発音をチェックしてみた。

ネイティブの発する音と全然違う・・・。

参考:Duolingo

www.duolingo.com

 

 

振り返れば、年末年始は、ESLもなく、コロナのフェーズも厳しくなり、ひたすら、自宅に籠っていたので、英語のアウトプットの場がなかった。その頃だっただろうか、दान、dāna君が、私の英語を話すのを聞いて、

「スターウォーズのヨーダが話しているみたいだな。」と言っていた。

後になって、調べてみると、なんか、自分でも分かる気がした。

 

being-happy.jp

 

他の記事では、ヨーダに異国人感を出すために敢えて、日本人の話す英語っぽくした、というような推測を立てているものもあった。あながち、見当はずれではない気がする。

 

自分でもよく自覚している。特に疲れている時に顕著に現れる現象。

 

その1.主語が抜ける。

その2.いきなり、曜日や場所や、自分の言いたい強調したい事が冒頭に来る。

その3.he , sheが、どーでもよくなって、言いやすい方に流れる。

その4.その3とも関係するが、三単現の”S”や、Do , Doesを言い違える。

その5.  目的語が抜ける

 

英語で英語を考えずに、日本語で考えている証拠だ。英語で考える、ってのは、英語のパーツがあって、それを組み立てていく事、というような事をとある記事で読んだ。ただ、パーツが少なすぎると、それを、イチイチ、説明するために文章を作らなくてはならない。

例えば、墓、という単語をすっかり忘れてしまったとする。となると、人が亡くなったら埋められる場所、というような事を知ってる単語で組み立てる作業をしなくてはならない。ボキャブラリーが少ない人ほど、話が長い。これは他の生徒を見ていても思う。完結に話す語彙が無いのだ。仕方がない。ただ、これに加えて、語順が滅茶苦茶だと、相手は、一体、何を言っているのか、さっぱり分からなくなる。それは話している本人も、相手の表情を見ていて、その反応から、痛感させられる。

 

疲れている時、日本語でも難しい内容を説明する時、などは、特に顕著になるヨーダ現象。どうクリアしたらよいか。

 

1つ、発見した。

 

「感情的にならないこと。」

 

感情的になると、つい、日本語の語順で、日本語っぽさ満載の、所謂、ジャパングリッシュが口をついて出てしまう。

 

例を一つ。

 

I put an apple here.

(私はリンゴをここに置きます。)

 

①ここに置くよ

②リンゴを、置くよ

③私が置くよ

 

日本語だと、口語体だと、強調したいことがどうしても冒頭に来るらしい。英語だと、語順は変わらず、強調したい箇所にアクセントが付く。

 

聞きなれない新しい語彙については、知って行けばいいだけの話なのだが、この語順というのが今のわたしには最も厄介だ。そんなことをदान、dāna君に話していたら、

 

दान、dāna君「でも、ヨーディッシュでも、相手はあなたの話している事を理解しているし、傍で見てて、ストレートでヒヤヒヤするな~と思うような、あなたの質問に対しても、相手は答えているのを見て、言葉ってツールに過ぎないし、それを超える人間同士の繋がりっていうのが、よっぽど大事なんだなと思うよ。だから、そのままでいいじゃん、って思うようになったよ。むしろ、流暢になってヨーディッシュでなくなると、ヨーダじゃなくなってしまって、なんか、その魔術的なパワーを失ってしまうんじゃないかね。(笑) もう今のままでも十分だと傍から見てて思うけど、なんで、もっと出来るようになりたいわけ?」

 

(なんでか?)

 

確かに、英語の発音が少し良くなってきたり、流暢に話している自分に気が付いてしまった瞬間、

 

(魂売ったな・・・自分。)

 

っと突っ込む自分がいる。

 

英語を話したがらない、フランス人、ドイツ人、の躊躇う瞬間というのは、こういう気持ちなのかな、と少し思ったりする。自分が自分でないような。

 

けど、それでもやっぱり、、

 

(仲間はずれ、が嫌だから)なのかな。

 

一人だけみんなと一緒に笑えない時、一人だけ、なーんか話しかけてもらえない時。こっちから話しかけるきっかけも、掴めない時。そんな瞬間を味わいたくないからかな。

 

聞こえる行為、と、話す行為。

 

勿論、聞こえる、も、まだまだ難しいけど、話す、もやはり、難しい。

 

取り敢えず、先ずは落ち着いて話そう。

 

Have a good evening !